2012年8月3日金曜日

思考するボクサー(ショートショート)

さて、開始のゴングが鳴った。
相手の実力はよくわからんが、こーゆー時ほど安全策をとるべきだろう。

今回の試合は6回戦だ。何回戦の何っていうのは、ラウンド数を示している。
デビューしたての4回戦の中で、そうだな、3勝したくらいで組まれるのが6回戦だ。

ただし、アマチュアで実績があったりするといきなり6回戦に出場するヤツもいるし、最近じゃ8回戦デビューっていうヤツもいるそうだ。まだ薄いグラブとノンヘッドギアにどこまで慣れているか知らないけどさ。

俺はもうその辺は慣れた。というか、結構打たれてきたからさ、痛みは忘れようにも忘れられないよ。今朝なんて起きたら枕が鼻血で真っ赤だぜ、びっくりしちゃうよ。

だからこうして安全策をとっているって訳。

最初のうちはフックやアッパーでいきなり大ダメージを与えたい、ぶっ倒したい!っていう気持ちがあったけれど、ボクシングって出たとこ勝負のぶつかり合いじゃなくって、意外と相手のミスとか失敗を地道に狙っていく地味~な競技だったんだよね。

ケンカだったら相手が構える前に先制攻撃が必勝法だろうけどさ、なんたって相手もこっちが来るってわかってんだから、備えちゃっているんだよね。そんなのに勝つってのは大変だよ。

さあ、手の届く距離だ。なんだい、怖い顔しちゃって。そんな顔じゃ人気でないぜ、兄ちゃん。これから先、仮に勝ち続けたって、これからは顔とかさ、育ち方とかさ、なんかないと稼げないぜ。

相手のガードにジャブを突いてみる。カチッというガード音、隙間から怖い顔が見えている。もう一度ジャブを打ってみるが、これもガードの上。なんだい、亀みたいなヤツだな。

んじゃ空いている腹を狙わせてもらうぜ。俺は膝を曲げて低い体勢のまま拳を伸ばす。ズボッと拳が当たり、はじめて相手が顔面ガードを解いた。よく見えるようになった顔が「なんともないぜ」という表情を作ろうとしているが、それそれ、大体その顔を作るやつは負けるんだよ。

ちょっと疲れたので、いや正確にはまだ疲れていない、疲れるのが怖かったので、俺は一旦距離を取る。初回から慌てることはない。さあ、どうする、そっちの番だぜ。

相手は再び顔面ガードを固めるとジワジワと距離を詰めてくる。その姿を見た俺は反射的にまたボディジャブを打っていた。さっきよりも強くズボッと食い込む感触に俺は直感した。こいつはボディが弱点だってね。俺くらいになると直感が働くんだよ。

しっかし、まだこっちに来るのかよ、戦車みたいなヤツだ。がっちりガードしたまま、バカの一つ覚えみたく…。アイツを思い出すぜ。アイツって? 学生時代、俺に毎日昼ごはん作ってくれた女。毎日だぜ? こっちはなんとも思っていないのによ。

おっと、気がついたらもう端っこじゃないか。ここで戦うのは不利なんだよ、なんたって逃げ場がないからな。決して追い詰められたんじゃないよ、だって俺は望んでここに来たんだ。俺が戦略的に後退したんだから。

ピタッと相手が止まる。ガードの隙間から俺を見ている。また怖い顔してるし。やめたほうがいいってその顔は。

俺は相手の一挙一動に集中する。

(もしお前がデカイの打ってきたらそれはお前の命日だ!)
俺がストレートパンチ打ったら、それは命日だってトレーナーが言ってた。この表現、気に入ってるんだ、俺。

相手が動いた!

俺は光の速さで反応した。これが若さってやつだ。こんなに早く反応できるのは若いからだ、絶対。オッサンにできる芸当じゃない。オッサンになった時にきっと確信するだろう、なんでもかんでも反応できるのが若さだってね。

俺のストレートパンチが光の速さで飛んでいく。光って一秒間に地球を7周するって聞いたことがあるけれど、光は直進するんだからきっと一周もしないはずだ。俺のストレートもそうだし。

そう思っていた時、すでにヤツは倒れていた。いや、下のほうにいた。ダウン、じゃなくってダッキングって言うらしい。俺のストレートが伸びきった頃、俺は笑顔だった。ポジティブシンキングってヤツだ。

で、俺のストレートは結局戻ってこなかった。いったっきり、将棋で言えば香だね、まっすぐ直進。まさに光になっちまったと言えるんじゃない?

そういやアッパーをコーナーで相手に当たれば一発で倒せるって、トレーナーが言ってたっけ。そんな訳ないでしょ、ボクシングは地味な競技って俺、気が付いちゃってるし。

意識が飛んで消えて…。また戻ってきた。さっきと同じだ。ヤツが目の前でガードしている。よくわからないが、俺は「なんともないぜ」と表情を作る。なんたってここ数秒の記憶がないんだから。光の速さで記憶も飛んでいってしまったんだろ、きっと。

(学食のおばさん、いつも昼ごはん作ってくれてありがとう…)

ふっと関係ないことが浮かび、俺はガードごとなぎ倒された。派手な初回ノックアウトに会場は大盛り上がりだ。

「この選手は人気でるぞ!」
「ジュノンボーイみたいな顔してるもんね~、素敵♪」

タオルをかぶり俺はリングを降りる。控え室でトレーナーが俺に言う。

「ボクシング、今日で最後にしたらどうだ」

黙っている俺にトレーナーは続けた。

「お前は試合の最中にゴチャゴチャ考えすぎだ。正直、ボクシングに向いていない!
今日がボクサーとしてのお前の命日だ。」

ガビーン。
























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