2011年9月11日日曜日

ロッキー 映画 ROCKY

路上で殴りあうラストシーンとなった5で個人的にはロッキーシリーズは終わったと認識していました。
例え次回作があったとしても老年を迎えるロッキーの周囲にもはや感動はないだろうと思っていました。

恐々と腫れ物に触るようにロッキーザファイナルを観ました。


予想は裏切られ、心の底から熱くなれました。
そこには時間こそたてど、変わらぬ面々がいたのです。

これまで一度も海外に行ってみたいと思ったことはありませんが、死ぬ前にフィラデルフィアに行って、自分の足でロッキー階段を登ってみたい、そして海外旅行できるようになった自分を誉めるように両手を挙げてみたい…。

そんなふうに思わせる映画でした。ありがとう、ロッキー!


私にとってロッキーがボクシングへの憧れのルーツだったのかどうか、もはやはっきりと思い出せませんが、血気盛んな少年期に上映されたロッキーシリーズ、主人公ロッキーバルボアの存在はあまりに強烈でした。

白人なのに貧乏だし、ムキムキなのに女と話すのが下手だし、住まいもその周辺環境もとてもじゃないけれど憧れる様な場所じゃない。借金取りの仕事もしていて、ポーリーという下品なおっさんもその仕事を紹介してくれとしつこかったり…。

でも愚直で純粋なロッキーが吐き出す言葉が痛いくらいに真っ直ぐなのである。
アウトロー的な部分がある人なら不器用なこの大男をすぐに好きになってしまうんじゃないかな。

ジムのロッカーも新人に取られてしまい、家に帰っても家族は一人もいない。(カメ二匹と金魚)

そんな中、好きになった女の子はペットショップに勤めるメガネのガリガリ女、エイドリアン(ポーリーの妹)。

小説版を読んで知ったのですが、あからさまに根暗でブスという設定の女性でした。当時は白人っていうのはああいった美人もアリなのかとばかり思っていました。(エイドリアンって名前も風変わりな印象だと聞きました)

でもロッキーは彼女を好きになってしまう。
これまたまっすぐに。

誘ったデートはおっさんのダミ声で閉店のカウントダウンが刻まれていくスケート場。デートということでロッキーなりに考えた末の場所だった。

ヨレヨレと一周して終わるデートですが、私はこのシーンが大好きです。(ロッキーが楽しんでもらおうと色々と身の上をしゃべるのですが、エイドリアンは転ばないことに必死であんまし聞いていない感じ♪)

私も初めてのデートはスケート場にしよう!と決めていて、自転車二人乗り(時効)で一時間半かけて出かけた思い出があります。(道に迷った…)

映画タクシードライバーで主人公(デニーロ)が真剣な眼差しでポルノ映画に女の子を誘うが、あれは孤立した男ゆえの異常行為、個人的には男として純粋なのかなと思う。

ちょっと脱線しましたが、うだつの上がらないロッキーにチャンスが巡ってくる。王者の気まぐれから挑戦者に選ばれ、タイトルマッチに出場することになるのだ。

巨大な試合会場を見学して圧倒され、すっかり萎縮してしまうが、エイドリアンにロッキーはたったひとつだけ約束をする。

「みんな倒されているんだ、それに俺には失うものなんて何もない。」
「元々俺には何もなかったんだ。」「そんなことないわ。」
静寂
「この試合の最後まで自分が立っていられたら、…その時はもう俺は元のゴロツキじゃない。」

ロッキー、頑張れ!と少年だった私は熱くなりました。

ロッキーのボクシングがあまりに荒唐無稽だとボクシング経験者ならすぐに分かるでしょうが、自身がボクシングを経験した今でもなぜかロッキーのボクシングに熱くなってしまう不思議。

何度も観ているので台詞もカメラワークも全て暗記しちゃっているし、なにより肝心の試合結果が分かっているのに心が燃え上がります。

打たれても打たれても、倒れても倒れても、ロッキーは諦めない。
ロッキー! ロッキー! ロッキー!

…そして死闘が終わると、ボロボロになったロッキーが人目もはばからず咆哮する。


常々、私は堂々とロッキーが好きだ、と宣言し続けています。

しかし、おぎやはぎのラジオで「好きな映画なに?」「ロッキー」って答える単純な合コン男について笑っていたり、会社の上司が「一番つまらない映画はロッキーでした」と朝礼で発言したり…。(がっかりしたので俺は退社したのか?)

周りがなんと言おうと、私は映画ロッキーが、ロッキーバルボアという不器用なブス専が、心の底から大好きです。逆にあの映画で熱くなれない男なら、そりゃ男という要素が足りないのではないかと思ってしまいます。

「帽子は?」
「愛してる!」

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