2011年3月17日木曜日

東日本大震災、あの数秒間

3 月 11 日午後 2 時 46 分~
これまで体験したことのなかった、あの数秒間。
みなさんそれぞれのドラマがあったはずです。

今は色濃く覚えていると思います。

でも…
どんなに印象的だった夢も数時間で忘れてしまうように、
あの数秒間もいずれ曖昧な記憶になってしまうかもしれません。

覚えている今だからこそ…。
あの数秒間。

後世に残すべくここに記していただきたいのです。

思い出すことすら辛いかもしれません。
しかし、ちっぽけなこのサイトが必ず後世の役に立つと信じています。

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1 件のコメント:

  1. 都内でタクシーの営業中に地震が発生。

    人工透析終えたばかりのお客さんと一緒でした。

    下町の電信柱が倒れないのが不思議なくらいに揺れて、
    建築中マンションの足場ががしゃんがしゃんと波打っています。

    (こりゃまずい)と運転席の椅子を倒し、
    お客さんに身を低くするように指示。

    頼むから俺の車の上になにも降ってこないでくれ!と
    車を路地の真ん中に移動して停車させました。


    ふっと遠くを見ると、乱立するマンションが互い違いに振動、
    電線は縄跳びのようにグルングルンと回っていました。

    「うわ~、ついにきましたね! NHKラジオつけます!」
    すると、津波に気をつけてくださいと揺れている最中にもう警告していました。

    (震源はここじゃなくて東北なのか!)
    ここよりも酷い場所があるということに驚きました。

    無事お客さんと別れ、すぐさま向きを自宅に向ける。
    すると二度目の揺れが発生し、異常事態だと再認識。

    俺は無事だった、学校も無事だろう、マンションの妻は?

    地下鉄からお客さんがわんさか、三ノ輪から梅島。
    自宅のある竹ノ塚の近辺だ、ついている。

    余震が起こるたびに徐行、歩道にはお客さんが溢れている。
    梅島ですぐにお客さん(韓国人の方で怯えていました)、草加へ。

    埼玉で仕事はできないので回送、家に到着。

    数年前に食品売り場で買った30円のどしょうがいる水槽の水が溢れ、
    テレビの上に置いてあったジオングのプラモやら写真立てが落ちた程度。

    妻も子供も全員無事だ。

    じゃ!とお客さんの溢れる街に戻る。
    忙しさに昼夜ともにご飯を食べることができませんでした。

    最後は深夜午前2時に霞ヶ関から竹ノ塚まで歩いてきたお客さんを
    春日部までお乗せしましたが、私も体力的に限界で目が回っていました。

    都内でさえこの混乱、東北はどうなのだろうと
    帰宅してテレビを見て、あまりの惨状に驚きました。

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